『ロスト・イン・トランスレーション / LOST IN TRANSLATION』(2003)
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- ソフィア・コッポラの監督の第2作目である。父は言わずと知れた、『地獄の黙示録 / APOCALYPSE NOW』(1979)、<ゴッドファーザー>三部作の名匠フランシス・フォード・コッポラであり、映画一家の家系として有名で、甥にニコラス・ケイジやジェイソン・シュワルツマン@天才マックスの世界と言った俳優もいる。ソフィア・コッポラはそういえば、『ゴッドファーザーPART III / THE GODFATHER:PART III』(1990)に2代目ドン・コルレオーネの愛娘メアリー役で出演していた(いい演技ではなかったがね)。で、ソフィアさんが監督してるから、観ようとしたのではもちろんなく、ビル・マーレーが主演しているから観たわけである。
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- 結論からいえば、ユルイ映画である。いい意味でユルイ。ビル・マーレー演じるのはハリウッドスターのボブ・ハリス。異国の地、日本のトーキョーにサントリーのウィスキーCM撮影のために来ている。その報酬は二百万ドルという高額であるが、別にそれゆえでなく、長年連れ添った妻との結婚生活は停滞気味、いわゆる中年の危機に瀕していた。撮影を理由に妻のいない日本へ来たようなものだ。言葉が通じない。何を言ってるのか? 日本人の喋る、ヘンテコな英語はLとRの違いが分からない。撮影でのストレス、不慣れな日本で睡眠もままならぬ。そんな中、滞在中のホテルに泊まっているひとりの美女に出会う。自分と同じ外国人、いや異国の中の同国人だ。彼女の名前はシャーロット。スカーレット・ヨハンソンが扮する若妻シャーロットはカメラマンの夫に同行して日本に来たはいいが、仕事で多忙な夫には構ってもらえず、言いしれぬ孤独感を感じていた。東京を散策するが、その寂寥感は埋まらず、結局はホテルの部屋で「自分は何をしたいのか」と自問するが答えは出ず。ふたりは何となく言葉を交わし、何となく惹かれ合い、やがて心を通わせてゆく。見知らぬ街、オカシなオカシな東京で……
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- 外国人の目から眺めた奇妙な東京そして日本古来の姿。美しく、あるいは猥雑な風景。スシ、シャブシャブ、アリガトウゴザイマス的な不思議な国ニッポンでの、自分自身の迷子捜し。惹かれ合うふたりのロマンスの深まりに驚きはない。そういう肉感的なドキドキを描く映画ではなく、風景を切り取ってゆくシーンを眺める如くに、精神的な対話や触れ合いを淡く撮った映画だ。そう、写真集の不連続なイメージの延長だ。ここでのビル・マーレーは素晴らしい。枯れた感じの、抑制されたユーモラスな演技。北欧系のスカーレット・ヨハンソンの初々しい新妻役は愛らしく、「食べたいちゃい」と、微妙に男心をくすぐる可憐さがいい。
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- 映画の題名を訳すれば、「翻訳によって失われるもの」。意志疎通の基本のひとつは言葉であるが、日本というフィルターを通し、人間関係の難しさや行き違いがうまく表現されている。一方で、ソフィアの描く誇張された日本人像はヤリスギ感がなくもないが、外国人がこの映画を観て日本を勘違いしないことを祈る。まぁ、ユルイけど、主演ふたりの異邦人の存在感は観る価値がある。『ライフ・アクアティック』(2004)のユルサのが数段好みだが。なぜか出演してる、藤井隆@マシュー南に観る価値があるのかないのかは……言わずもなが(;・∀・)
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- 挿入歌として使われてる曲で、唯一の日本語の曲がある。伝説的な「日本語による日本人による」バンド、はっぴいえんどの名曲「風をあつめて」だ。ぼくも大好きな曲であるが、この選曲はとてもいいセンスであると思う。これをもし、英語にトランスレーションしてしまったら、ロストするものは存外に多い。その味わいは日本語の響きであるから。でも、失われないものもある。それはメロディーの美しさだ。翻訳されなくても独自なその美は感じられるのが音楽や絵の凄さかもしれない。あ? もちろん、この映画は字幕スーパーで観ましたよ。異邦人 in JAPAN だから。