『クラッシュ / CRASH』(1996)(ヘア解禁ニューマスター版)

クラッシュ 《ヘア解禁ニューマスター版》セックスと嘘とビデオテープクラッシュ (創元SF文庫 ハ 2-11)

    • 原作は1960年代、イギリスSF界から思弁小説を提唱したJ・G・バラード。いわゆる<新しい波>ニュー・ウェーブを代表する作家である。SF的な事象はそれまでのように外宇宙にあるのではなく、人間の内宇宙──精神にあるというようなことを提示し、従来のSF的手法から脱却したひとりだ。つまり、彼の作品を読むと、「どこがSFなん(;´・ω・) ?」と思われるだろう。大宇宙であったり、奇妙な化け物であったり、超人ヒーローが登場するSFの固定したイメージに彼は興味を覚えず、極端にいえば、そこら辺に転がっている石を見つめる男……のようなものにSF的イメージを求め、「人間とは?」と問いつめていった作家であろう。ぶっちゃけると、バラードはあまり読んでないし、個人的には趣味ではない。バラードのこういった思弁の志向性は自ずと普通小説や文学的流れになり、SFの拡散へと繋がるのだが、1973年に書かれた原著は真に不思議な物語だ。映画に話を戻そう。
    • 倒錯した快感、異常性欲。衝突事故という極限的に死に近い状況で、性と繋がることは考えられるであろうか。タナトスとエロスの表裏一体性はよく言われることであるが、通常は感じないように人間の精神はできている。死に瀕したことで、解放されてしまう何か、弁のようなものが開いた人々の物語だ。バラードの原作は未読ゆえ、映画化との差を論じられないけれど、セックスと死をモチーフにした奇妙な味をクローネンバーグ流に描いた本作は、従来の彼らしい作品とはいえないかもしれない。ドロドログチャグチャなものを求めるファンにはちょっと違うかもと思うであろうが、衝突し破壊される車の金属感、怪我を負った肉体の有機的表現はまさしく『ビデオドローム』や『ザ・フライ』の彼っぽく、死へと続いてゆくエロス、非現実なものに浸食されてゆく主人公たちの姿(衝突の瞬間、登場人物たちの精神は車と融合し、性を求める行為は融合の代謝行為なのだろう)は従来作と通底し、クローネンバーグの巧さというものが感じられる秀作である。音楽も従来作同様にハワード・ショアで硬質。セックスシーンが多く、公開当時は賛否両論あったようだが(R-18指定である)、第49回カンヌ国際映画祭では審査員特別賞を受賞した(パルム・ドールは候補)。デボラ・アンガーホリー・ハンターらの女優たちもエロティックながら(お姉さま声の声優陣も豪華)、やっぱりジェームズ・スペイダーはエロティック作品が似合うなぁと痛感した。