『プレステージ / THE PRESTIGE』(2006)

takaren2008-05-05



プレステージ コレクターズ・エディション〈プラチナファンタジイ〉 奇術師 (ハヤカワ文庫 FT)

    • 今年物故した、20世紀最後の巨匠ともいえるハードSF作家アーサー・C・クラークが提唱した「クラークの三法則」なるものがある。その第三法則は特に有名で、よく引用されるものだが、「充分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない Any suffiently advanced technology is indistinguishable from magic.」 というものだ。
    • 奇術のマジックもまさにそれを免れない。「タネがあるから」という先入観でマジックを見つめていて、そのトリックを見破ろうと目線で鑑賞するわけだが、顕れた現象の不思議さに目を奪われることになる。明かされてみれば、「そうだったのか……」と仕掛けの単純さに興ざめすることもなくはないが、巧妙な騙しの技術、驚きと幻惑を創造しようという姿勢は、映画や小説などの物語作りと共通する立場である。本作でも従来のクリストファー・ノーラン作品同様、最初から最後まで、張り巡らされたトリックが用意されている。
    • 19世紀末ロンドン。"偉大なダントン"ことロバート・アンジャー(ヒュー・ジャックマン 山路和弘)、"ザ・プロフェッサー(教授)"ことアルフレッド・ボーデン(クリスチャン・ベール 東地宏樹)。修業時代は共に技巧を認め合っていたふたりだったが、アンジャーの妻ジュリア(パイパー・ペラーボ)が脱出マジックに失敗し、死亡してしまう。その原因がボーデンにあるとしてアンジャーは彼を恨む。サラ(レベッカ・ホール)という女性と出会い幸せな家庭を築いてゆくボーデンに、アンジャーは妻の復讐を行う。美しき助手オリヴィア(スカーレット・ヨハンソン 水町レイコ)を得て再出発をしようとするアンジャーに、またもやボーデンも呼応するように執拗な妨害工作をしかけてゆく。ふたりの旧友で装置技術者のカッター(マイケル・ケイン 小島敏彦)の忠告に反し、天才奇術師として技術と名声を競い合うように、しのぎを削り合ってゆくふたりの確執はますます激しさを増す。ボーデンに負けぬ壮大なイリュージョンマジック「瞬間移動」を求め、アンジャーはコロラドにいる科学者ニコラ・テスラデヴィッド・ボウイ 佐々木敏)の元へ赴く。アンジャーの大マジックがやがて完成するが、その秘密を探ろうとしたボーデンはアンジャー殺しの罪で逮捕されてしまうのだった……
    • マジックには三つの段階があるという。「確認プレッジ、展開ターン、偉業プレステージ」である。この物語はそのマジックの段階を取り込み、いくつかの対立構造を描いている。天才パフォーマーのロバート・アンジャー VS 天才トリックメーカーのアルフレッド・ボーデンという主人公ふたりは当然ながら、第二次産業革命の時代であり、電気発明の黎明期とし、トマス・エジソン(直流電流) VS ニコラ・テスラ(交流電流)という構図もある。プレステージの原義には惑わしという意味もあり、小説版のあとがきに詳しい(ただし、そう明記されていないが、ネタバレがあるので最初に読まないこと)。
    • クリストファー・プリーストによる、その原作小説『奇術師』(1995)は世界幻想文学大賞を受賞をした傑作であるが、主人公ふたりの日誌を元に記述される形式が大部を占めている。映画脚本はクリストファー・ノーラン実弟ジョナサン・ノーランにより脚色されたもので、日誌風な語りが活かされている。ただし、原作で出てくるアンジャーとボーデンの子孫たちは出てこないし、トリックの肝となる「瞬間移動」の仕様も若干異なるし、新たに付け足された設定や登場人物もあり再構築されている。原作は大著であり(放映時間的制限もあるのだろうし)、ここはあえてその通りに作らず、小説の語り(騙り)のトリックの面白さを、映像的トリックへと昇華したと見た方がいい。2006年度アカデミー賞の撮影賞と美術賞候補になった映像美は見所のひとつだ。

『フォロウイング / FOLLOWING』(1998)

フォロウィングCHRISTOPHER NORAN 2-TITLE BOX メメント コレクターズ・セット

    • 続いて、クリストファー・ノーラン監督のデビュー作。こちらは本当に低予算というか、ほぼ0に近いらしい。モノクロ映画で、制作・監督・脚本・編集・撮影を兼務し、友人たちと一年がかりで撮影したものだ。
    • 作家志望の青年ビル(ジェレミー・セオボルド 壇臣幸)には、街で通りすがりの人々を尾行する悪癖があった。その日も、ある男の跡を尾けていたが、逆に気づかれてしまう。コッブ(アレックス・ハウ 井上和彦)と名乗るその男も他人の家へ不法侵入しては、覗き見を繰り返すことを生き甲斐にしていたのだった。ふたりは共に侵入行為を繰り返すようになる。ビルはある家の写真で見かけた金髪の女(ルーシー・ラッセル 石塚理恵)に興味を抱き、女の跡を尾け、ついには接触を試みるのだが……
    • 原題はそのまま「尾行」。70分と短いが、いくつかの流れ、シークエンスが断片的に挿入されてゆき、時系列がいじくられている凝った作り。2作目は逆回転であったがほぼ直線的であったものの、こちらはちょっと流れが複雑であり、もっとフィルムノワールを意識した作りであるらしい。モノクロで観にくいため疲れるが、贅肉を切り落としたような短編、監督の原点を知る意味ではなかなか興味深い作品であった。だが、『メメント』を楽しみためにも、そちらの観賞後に本作を観た方がいいとは思える。二度以上観られる作品を心がけているクリストファー・ノーランらしい、仕掛けのある映画だ。

『メメント / MEMENTO』(2000)

takaren2008-05-03


メメントメメント/スペシャル・エディションCHRISTOPHER NORAN 2-TITLE BOX メメント コレクターズ・セット異邦の騎士 改訂完全版

    • クリストファー・ノーランが監督・脚本した2作目で、制作費900万ドルのインディペンド系ながら、口コミで全米でヒットを記録した。2001年度アカデミー賞脚本賞編集賞候補。物語の本筋は単純であるが、脚本と構成の妙で魅せるフィルムノワールの佳作である。原案は実弟ジョナサン・ノーランの書いた短編小説「メメント・モリ / Memento mori」ということで、、ラテン語の格言「死を忘れるな(死を思い出せ)」という意味。 moriは動詞morior(死ぬ)の不定形、mementoはmemini(思い出す)の命令形である。「他人の死を忘れるな」ではなく「自分がいつか死ぬということを忘れるな」ということである。つまり、mementoは記憶や想い出に繋がる言葉であるが、この映画に相応しいどこか、深遠なる響きのある言葉だ。
    • 元保険調査員レナード(ガイ・ピアース 小山力也)は目の前で妻をレイプされ殺されたショックにより、前向性健忘になってしまう。生活記憶や事件以前の記憶はあったが、十分間しか記憶が保持できない。犯人ジョン・Gに繋がる人物や建物をポラロイド写真やメモ書きに残し、自らの身体に刺青として情報を刻みつけながら、妻(ジョージャ・フォックス 安藤麻吹)の復讐を果たそうと、犯人を追い求めていた。ナタリー(キャリー=アン・モス 塩田朋子)、テディ(ジョー・パントリアーノ 後藤哲夫)ら協力者に思える人々は誰も信用できぬ、それはまるで独りぼっちの探偵ごっこだった……
    • 十分間まえの記憶を手探りにして、エンディングからスタートまで時間を遡行してゆく展開である。最初に明かされるのが、時系列には最後のシーン。「何だっけ?」と、今まで事実であった十分間まえのことを主人公は忘れてしまう、細切れなシークエンスで物語は逆行してゆく。記憶の主観性……曖昧さ……どれが真実でどれが虚偽か信用できない。事実として刻み込まれてゆくはずの刺青もそうとは限らない捏造された事実であるのかもしれないのがミソだ。しかし、何かを信じていかなければ、先へは進めない男。何を信じていいのか分からない不安。信用できない語り部による、一種の倒叙ミステリである。
    • ポラロイド写真に写された人物や建物、メモ書き、そして主人公の肌に彫り込まれた(自ら彫った鏡写しの文字を含む)刺青文字によってのみ、再構築されてゆく不安定で歪んだバベルの塔。忘れてしまった過去はどういうものだったのか? 時系列を逆に辿ってゆくことで、ドミノがパタパタと倒れるのではなく、倒れたドミノが起きあがってゆく様を想起させる。「ここでこういう行動を取ったら、こうなるかもしれない」という可能性を描くのではなく、「こうなったのは、ここでこういう行動をしてしまったのからだった……」という悔恨の連続を見てゆくようだ。
    • 物語は逆回転していても、主人公は記憶の逆戻り(想起)ができるわけではない。現在から過去をを検証補正(フィードバック)させて、未来へ繋げてゆくという自然に行われる行動原理が役立たずである。記憶の連続性という、日常を生きてゆく中で健常者が当然有するものが欠落してしまったゆえに、過去を顧みてする悔恨さえできない(正確には、十分間という小さな世界で起こったことに関しては悔恨は可能だが、それさえも忘れてしまう)。復讐の記憶はやがて消える……その苦しみや不安を追体験してゆくのだ。繰り返される忘却に、「どこまで進めたのか? この道筋は正しいのだろうか?」と常に問い、現在を生かされ、不安に苛まれ続ける主人公のように戸惑うばかりだ。
    • 通常版及び、コレクターズ・セットのDVD特典映像では、時間軸に沿ったクロノロジカル・シークエンス再生(監督の意図とは逆なので、リバース・シークエンス再生であるのがややこしい)機能を搭載している。ただし、2枚組のスペシャル・エディションのHDマスター・DTS収録版『メメント』はこれができないらしい。1回見たら、今度は時間軸に沿って観るとスッキリするかもしれない。だが、モヤッと感が残り、また観たくなる可能性があるかもしれない。まさに、記憶の不確かさをうまく表現したともいえる作品だろう。頭の体操、あるいはIQを試すにはいい映画なのか。
    • 記憶障害を基本アイデアに扱った本格ミステリの傑作、島田荘司著『異邦の騎士』を何となく思い出す。本作も映像化したら面白いとは思わなくもないが、文章ならではの面白みを表現しがたく、なかなか困難な部分も多いかもしれない。こちらにはある種の救いがあり、美しさがあり、泣きがある。合わせてオススメである。

ジュリー×ストーンズ×太陽を盗んだ男?

太陽を盗んだ男

    • 何となく、長谷川和彦の邦画史上に残る傑作『太陽を盗んだ男』を思い出す。9番こと、沢田研二扮する城戸先生が夢の中でストーンズを熱唱しているようだ。すべては夢……そう、あの映画は夢の如く美しい映画だ。原爆製造シーンでの歌として使えばよかったかもなぁ。
    • 予告編の故・広川太一郎のナレーションが泣ける。ワクワクしますね。

『クラッシュ / CRASH』(1996)(ヘア解禁ニューマスター版)

クラッシュ 《ヘア解禁ニューマスター版》セックスと嘘とビデオテープクラッシュ (創元SF文庫 ハ 2-11)

    • 原作は1960年代、イギリスSF界から思弁小説を提唱したJ・G・バラード。いわゆる<新しい波>ニュー・ウェーブを代表する作家である。SF的な事象はそれまでのように外宇宙にあるのではなく、人間の内宇宙──精神にあるというようなことを提示し、従来のSF的手法から脱却したひとりだ。つまり、彼の作品を読むと、「どこがSFなん(;´・ω・) ?」と思われるだろう。大宇宙であったり、奇妙な化け物であったり、超人ヒーローが登場するSFの固定したイメージに彼は興味を覚えず、極端にいえば、そこら辺に転がっている石を見つめる男……のようなものにSF的イメージを求め、「人間とは?」と問いつめていった作家であろう。ぶっちゃけると、バラードはあまり読んでないし、個人的には趣味ではない。バラードのこういった思弁の志向性は自ずと普通小説や文学的流れになり、SFの拡散へと繋がるのだが、1973年に書かれた原著は真に不思議な物語だ。映画に話を戻そう。
    • 倒錯した快感、異常性欲。衝突事故という極限的に死に近い状況で、性と繋がることは考えられるであろうか。タナトスとエロスの表裏一体性はよく言われることであるが、通常は感じないように人間の精神はできている。死に瀕したことで、解放されてしまう何か、弁のようなものが開いた人々の物語だ。バラードの原作は未読ゆえ、映画化との差を論じられないけれど、セックスと死をモチーフにした奇妙な味をクローネンバーグ流に描いた本作は、従来の彼らしい作品とはいえないかもしれない。ドロドログチャグチャなものを求めるファンにはちょっと違うかもと思うであろうが、衝突し破壊される車の金属感、怪我を負った肉体の有機的表現はまさしく『ビデオドローム』や『ザ・フライ』の彼っぽく、死へと続いてゆくエロス、非現実なものに浸食されてゆく主人公たちの姿(衝突の瞬間、登場人物たちの精神は車と融合し、性を求める行為は融合の代謝行為なのだろう)は従来作と通底し、クローネンバーグの巧さというものが感じられる秀作である。音楽も従来作同様にハワード・ショアで硬質。セックスシーンが多く、公開当時は賛否両論あったようだが(R-18指定である)、第49回カンヌ国際映画祭では審査員特別賞を受賞した(パルム・ドールは候補)。デボラ・アンガーホリー・ハンターらの女優たちもエロティックながら(お姉さま声の声優陣も豪華)、やっぱりジェームズ・スペイダーはエロティック作品が似合うなぁと痛感した。

『ザ・フライ / THE FLY』(1986)(2枚組特別編)

ザ・フライ (2枚組特別編)ザ・フライ (特別編)スキャナーズ DVD-BOX デジタルニューマスター版ビデオドローム (ユニバーサル・セレクション2008年第6弾) 【初回生産限定】デッドゾーン デラックス版イグジステンズ


    • ようこそ、恐怖の実験室へ……とでも言ってるような作品である。敬愛する映画監督のひとり、鬼才という名がふさわしい、カナダ出身の監督デイヴィッド・クローネンバーグ作品である。今回久々に観たのは、カルト・コレクションとして出ている版である。津嘉山正種さんの吹き替えるゴールドブラムの渋さ、高島雅羅さん声の艶やかなジーナ・デイビスなど吹き替え版が楽しい。未公開シーンや別エンディング、メイキングなど特典ディスクも興味深い(残念ながら、通常発売の廉価版は『ザ・フライ (特別編)』という名ではあるが、日本語吹き替えは収録されていないのであしからず)。
    • 天才科学者セス・ブランドル(ジェフ・ゴールドブラム 津嘉山正種)は物質転送装置を開発中であった。ある日、ふと出会った女性記者ベロニカ・クエイフ(ジーナ・デイビス 高島雅羅)にその成果を見せる。ベロニカは世紀の大発明に触れ、雑誌編集長ステイシス・ボランズ(ジョン・ゲッツ 桶浦勉)にそのことを告げるが、魔術師紛いの研究だと、ステイシスは一蹴する。ベロニカは開発過程を記録すべく、セスと共に研究の最終段階へと実験を進めてゆく。ふたりはやがて惹かれ合い、課題であった生物の転送実験も上首尾に思えた。やがて、セスは自らの身体を実験台として転送を行ってしまう。しかし、転送ポッドに一匹の蠅が紛れ込んでいたとは気づくわけもなかった……
    • 原作はジョルジュ・ランジュラン、オリジナル映画化は『蝿男の恐怖』(1958)という古典だ。科学者が蠅男の如き、化け物へ変化してしまう基本は同じであるが、その肉体的及び精神的変化課程のリアリティを求め、まるで病に冒されてゆくような科学者セスと女性記者ベロニカの恋愛悲劇、編集長ステイシスとの一種の三角関係まで脚本の掘り下げを行ったのはクローネンバーグならではある。人間と蠅の遺伝子レベルでの融合という、当時はまだ一般的ではない分子生物学という分野のディティールを取り入れた。その非現実的ともいえる事象が、現実を浸食し、悪夢として融合してしまう、人間の変容や変化を描いたのはクローネンバーグ諸作品に共通するテーマであろう。これを含め、『スキャナーズ』(1981)『ビデオドローム』(1982)『デッドゾーン』(1983)という80年代同時期の作品はまさに傑作であり(『スキャナーズ』の1作目を単品で出してよ(´Д⊂グスン)、悲哀漂う投げ出されたようなアン・ハッピーエンドも彼らしい。未見ながら、仮想現実に冒されてゆく『イグジステンズ』(1999)でも、この傾向は復活しているが、近年は彼の真骨頂といえるこういったSFホラーから離れているのはちょっと哀しい(´・ω・`) 犯罪サスペンスじゃなく、SFホラー希望である。
    • クローネンバーグお得意のグチャグチャドロドロも見所だ。特殊効果のクリス・ウェイラスが1986年度アカデミー賞でメイクアップ賞を受賞したのも頷けるが、セス自身がブランドンバエと名付ける自身の姿は恐ろしいまでにリアルで、CGではここまでの生々しさを表現できないであろう。もちろん、当時はそれほどのCG技術はなく、メイクアップ以外でも装置制作や特殊効果にはどこかレトロな、お手製感覚が発揮されている。波形のヒダのある卵形テレポッドのフォルムは、イタリア製オートバイ、ドゥカティのエンジン冷却フィンをモデルにしたそうである。音声認識型端末の使い所も憎い。

ジュラシック・パーク  (ユニバーサル・ザ・ベスト第8弾)ロストワールド/ジュラシックパーク  (ユニバーサル・ザ・ベスト第8弾)『ジュラシック・パーク』製作15周年記念 スペシャルDVD‐BOX 【初回生産限定】インデペンデンス・デイ (ベストヒット・セレクション)ライフ・アクアティック

トータル・リコールロボコップ (特別編)

    • 言わずもなが、続編『ザ・フライ2/二世誕生 / THE FLY II』(1988)は、本作の立て役者のひとり特殊効果のクリス・ウェイラスが監督として作られたものだが、観て得られるものは少ない。あえてあの形で終えることにしたクローネンバーグの意志を汲むこともなく、二世を誕生させてしまうとは何事かと言いたい。一歩譲っても抑制の利かぬ話としか言えないので、この2作目はオススメはしない。脚本に、『ショーシャンクの空に』(1994)『グリーンマイル』(1999)のフランク・ダラボンが関わっているとは思えない不出来であろう。

『ログイン』(LOGiN)休刊

    • 2008年5月の7月号をもって、1982年5月創刊号から続く25年の歴史に幕を閉じるそうな。
    • 1980年代初頭はちょうどマイコン今でいうパソコンであるが、そういうものがいよいよ一般に出始めた時期である。NECPC-8801シリーズ、富士通FM-7シリーズ、シャープのX1シリーズが、8ビット機の御三家であり、国内のマイコン市場を寡占していた。それぞれ独自のBASICを乗せてあって、フロッピーディスクも高く、テープで読み込みしたりするものもあり、少年たちにはまだ高価な遊び道具であった。16ビット機である、ベストセラーになるNECPC-9801シリーズ(乗ってるOSはMS-DOSを98用に改変したDOS)も同時期に出たが、PC-9801VMを標準機としてこれらが主流になるのはもうちょっとあと、数年後だったように思う。
    • この1980年代初頭〜1990年初頭頃まで、『ログイン』を読んでいた時期は結構重なる気がする。その後の情報源はいわゆる、18禁ゲーム系の専門誌が各社から乱発されてゆくのだ。1992年12月に出たエルフの「同級生」というもので、18禁ゲーム業界はブレイクし、爛熟期へと向かう。部数の伸び悩みは必至であったように思う。18禁ゲーム市場や、ファミコン〜PSへの流れを組むコンシューマ機市場ばかりが活性化する。純国内産のPCゲームで優良なものはシリーズものを除くとそれほど輩出されずに、海外移植作品も日本ローカライズの手間なので進まない。
    • ここまで長く続いたのが不思議であったぐらいであるのだが、今後はwebを中心に活動するようだ。ちょっと寂しい気もするのだが、日本のPCゲーム市場は、特に18禁ゲーム市場は1990年代半ば以降、大小メーカーが群雄割拠し、今やかつてのようなビッグヒットを狙う市場ではなく下降線を辿る一方に思われる。コンシューマ向けでも生き残りをかけ、競合他社と統合してゆく老舗ブランドもあった。インターネットが普及し、MMOなどの多人数型ネットゲームが一般化しているが、一般のPCゲームも好きなので、昔のように国内産で( ゚∀℃( `Д´)マヂデスカ!?というワクワクする面白い作品が出てくれればと、思わなくもない。